▷ この記事で伝えること
- SNSで見かける「怒りの投稿」が、必ずしも本心とは限らない理由
- インプレッション(表示数)を稼ぐための“炎上マーケティング”とは?
- 実際に指摘されている専門家の見解・経験者の声
- あなたが“怒りに利用されない”ために知っておくべき視点
🔥 SNS上の“怒り”は、もはや感情ではなく戦略かもしれない
2025年、X(旧Twitter)では日々「炎上」が起きる。
それが企業の発言であれ、個人のライフスタイルであれ、どんなジャンルであれ、誰かの怒りが引火点となり、数万件単位で拡散される投稿が絶えない。
中でも最近話題になったのが、JICAの「アフリカ・ホームタウン」構想を巡る炎上。
教育や文化交流を目的とした取り組みに対し、一部の投稿では「乗っ取られる」「優遇されすぎ」といった感情的反発が噴出。
結果として、制度とは無関係な国籍や人種へのヘイトへと変化していった。
だがここで、もう一つ注目すべき視点がある。
本当に“怒っていた”のか? それとも“バズらせたかった”のか?
📊 専門家が指摘する「インプレッション経済」の構造
▶ 高橋暁子 氏(成蹊大学 客員教授)の分析
Xの仕様変更により、「いいね」や「コメント」よりもインプレッション(表示回数)そのものが注目指標になった。
これにより、「過激な発言をすれば見る人が増える → プロフィールが見られる → フォロワーが増える → 広告や案件が舞い込む」という**“怒りの報酬化”構造**が定着したと指摘する。
「もはや“誰かに伝えたい”のではなく、“見られるために怒っている”のでは?」(高橋氏)
▶ 犯罪学専門家による視点(Yahoo!ニュース)
SNSにおける注目は「承認欲求」や「金銭報酬」だけでなく、**「影響力の錯覚」**を人々にもたらす。
「怒り」を表明する投稿は「正義」とみなされやすく、共感やシェアを生みやすい。
しかしそれが度を超えると、「理念なき攻撃」や「炎上芸」として機能し始めると分析されている。
「怒りを通じて自己効力感を得る構造そのものが、次の攻撃者を生む。」
📈 専門メディアも指摘する「怒りはバズる」という構造
ガイアックス社のレポートによると、2025年上半期に炎上した企業案件のうち、「特定の層を刺激する投稿」が80%以上を占めていた。
特に注目すべきなのは、「個性・熱量・リアルさ」がキーワードになっている点。
つまり「怒り」や「問題提起」は、共感を引き出す最強のマーケティング武器として認識されているのだ。
📣 実際に起きた「炎上設計」の声と、巻き込まれた人の体験
▶ ケース①:「インプレゾンビ」の実態(note投稿より)
投稿者・巡楽氏によると、インプレッション(表示数)を目的に「嘘を本当に見せかける投稿」「釣り」「被害者ムーブ」などが意図的に戦略化されているといいます。
「注目されれば“勝ち”という空気。言ってることは嘘でも、感情を揺らせば正義っぽく見える。炎上って実は、誰でも始められる副業みたいなものですよ」
このように、「怒りを“演出する技術”を持った発信者」が確実に存在しており、その言説に共感・反発する形でユーザーはインプレッションに加担してしまう。
▶ ケース②:「本気で炎上してしまった」体験談(note投稿より)
漫画家・水谷アス氏は、自身の投稿が予期せぬ形で拡散され、「1万いいね超え→炎上→個人攻撃」というプロセスを体験。
「最初は褒められた。でも途中から“この考え方は危険だ”って叩かれて、数百件の引用リポストで人格否定が始まった。知らない人から“通報した”とまで言われて、正直怖かった」
この事例では、投稿者自身が“意図せぬ怒りの対象”になり、「見られる」ことが安心や達成ではなく、恐怖や損失につながるというSNSのもう一つの顔が明らかになった。
🧠 SNSにおける“怒りの経済”と、私たちが選べる行動
✅ 考察①:「感情」はもっとも価値が高く、だからもっとも搾取される
SNSにおける“注目”の通貨は、フォロワー数でも再生数でもなく、「人の感情をどれだけ動かしたか」である。
怒りはその中でももっとも強く、もっとも伝播しやすく、もっとも「売れる」感情。
つまり、怒りを利用される側になるリスクは、誰にでもある。
✅ 考察②:「怒っている人」=「正しい人」ではない
多くの人は「怒っている人を見かけると、その人が正義だ」と感じてしまう。
しかしSNSでは、その“怒り”が本物か、あるいはビジネスか、までは見えない。
誰かの怒りに即座に共感する前に、それが本当に事実か、なぜその人は拡散を望んでいるのか──
“疑ってみる目”こそが、フェアな態度であり、自衛の第一歩でもある。
✅ 考察③:「シェア」「引用」「いいね」も共犯になることがある
あなたが軽くリポストしただけの投稿が、誰かの人格を傷つけ、人生に影響を与えるかもしれない。
無意識の共感が、無意識の差別や炎上の助長になる。
SNS時代の“共感”は、同時に“加担”の危険もはらんでいる。
🧭 結論:「怒る自由」より先に、「見極める力」を持とう
怒りを持つことは自然だし、声をあげることは大切だ。
だが、SNSでは「怒っているように見える」投稿が必ずしも正義ではない。
時にそれは再生数のための演技であり、誰かの商売道具であり、あなたの無償労働でもある。
