山上被告の「宗教的虐待」は特別じゃない──世界にもある信仰の暴力

この記事は約4分で読めます。
スポンサーリンク

【1】宗教的虐待は、今も「家庭の中」で静かに起きている

宗教的虐待とは、信仰を背景に子どもの自由や権利を奪う行為です。

極端な献金、進学の断念、恋愛や生活の制限、身体的・性的暴力まで、多くは「家族の中」で起き、表面化しにくいのが特徴です。
近年は、日本でも統一教会(世界平和統一家庭連合)をめぐる議論や、山上徹也被告の裁判などを通じて、その存在がようやく言葉として共有され始めました。

ただしこれは日本だけの問題ではなく、世界中で宗教的権威の下に苦しむ子どもたちがいます。


スポンサーリンク

【2】宗教的虐待とは何か、実例を通じて把握する

◆ 日本:山上徹也被告のケース

2022年の安倍晋三元首相銃撃事件で逮捕された山上徹也被告は、以下のような背景を持っていました。

  • 母親が統一教会に入信し、約1億円もの献金を行い家庭が崩壊
  • 自身の進学・生活・将来に著しい制約を受けた
  • 弁護団は「宗教的虐待」が事件の根底にあると主張(2025年裁判で争点に)

経済的困窮だけでなく、「信仰を強いられる家庭」の中で子どもが抱える無力感や孤独が問題視されています。

◆ 日本の他の実例(宗教二世の声)

  • 教義に反する恋愛は「地獄に落ちる」と教え込まれ、青春期の人間関係を断たれた
  • 親の信仰で医療を拒否され、病気治療が遅れた
  • 家族から「信じない子は悪魔」と言われ、家庭内で孤立

これらは、すべて「宗教を理由にした制限」であり、本来子どもが持つはずの自由を奪う行為です。


スポンサーリンク

【3】海外の実例と比較し、見えにくさに気づく

宗教的虐待は、世界でも問題になっています。

◉ アメリカ:秘密主義教団「Two by Twos」

  • 教団の内部で性的虐待が複数告発され、FBIが捜査中
  • 子どもが教義を理由に抵抗できず、外部相談もできなかった

◉ オーストラリア:宗教内の子ども虐待が0.4%と推定

  • 統計的に数万人規模の被害が存在
  • 被害者が沈黙する文化が障壁に

◉ イギリス:すべての宗教で報告される虐待

  • キリスト教、イスラム教、ユダヤ教など多宗派で性的虐待・心理的支配が発覚
  • 子どもに対する権威乱用や外部機関との連携不足が構造的問題

◉ 共通点と日本との比較

観点共通点日本の特徴
教義の強制自由の制限・恐怖による支配医療・恋愛・進学などの制限が多い
経済的被害献金・奉仕の強制統一教会などの高額献金に伴う家庭崩壊が顕著
性的虐待指導者による行為が複数報告山上事件では性加害ではなく心理・経済面が中心
被害の見えにくさ教団の閉鎖性・文化的沈黙家庭内で完結するため外部が介入しづらい

スポンサーリンク

【4】気づきと支援の広がりは始まっている

● 2024年以降、日本政府も対応を強化中

  • 文科省・厚労省が「宗教に関連する児童虐待Q&A」を発行
  • 児童相談所も宗教的な背景のある虐待に対応できるよう研修
  • 弁護士会が「宗教二世」向けのホットラインを設置

● 支援を受ける・情報を得る手段も

支援先内容
NPO法人リトル・ライツ宗教二世の相談・発信支援
宗教虐待サポートの会被害体験の共有と回復支援
弁護士会の無料法律相談宗教的虐待を含む家庭問題の相談可

● あなた自身が取れるアクションもある

  • 「なんか変かも?」と思ったときに、家族の信仰であっても遠慮なく外部に相談してよい
  • 教育現場・福祉現場の方は「宗教だから介入できない」と思い込まず、子どもの状況を丁寧に観察することが重要
  • SNS上でも「二世問題」に共感を寄せる発信が増えている

スポンサーリンク

【5】考察:宗教が悪なのではない、「関係性の構造」が問題

宗教的虐待の問題を語るとき、「信仰そのものが悪」だと受け取られることがありますが、それは正確ではありません。

問題の本質は、「信仰が親の価値観を絶対化し、子どもの人権や自由を抑圧する構造」そのものです。

  • 「子どもの選択肢を奪うほどに信仰を優先する」
  • 「子どもの声を“教義違反”として封じる」

こうした構造が家庭や教団内で繰り返されることで、知らぬ間に“虐待”が成立してしまうのです。

信仰と家庭の中立性、子どもの選択の自由、人権──これらをどう両立させていくかが、これからの社会の課題となります。


スポンサーリンク

【6】まとめ:あなたの気づきが、誰かの命綱になるかもしれない

宗教的虐待は、殴る・閉じ込めるといった“目に見える暴力”ではない分、気づきにくく、誰にも相談できないまま深刻化しがちです。

けれど、もし周囲の誰かが「これって本当に大丈夫?」と声をかけることができたら、その先に道が生まれることもあります。

信仰と虐待の境界線を、私たち自身が「問い直し続けること」。
それが、見えない苦しみを受け止める社会への第一歩になります。

スポンサーリンク

🔗 参考・出典

タイトルとURLをコピーしました