キャッシュレス募金——キャッシュがないのに募金とは?

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「あっ、財布がない。でも募金はできる?」という時代

「最近、現金ほとんど持ち歩かないんだよね」

きっとこのセリフ、もう聞き慣れてきたと思います。スマホ一つで、コーヒーも買える、電車にも乗れる、支払いも割り勘も、全部アプリで完結する。そんな便利な世の中で、「募金」もまた、キャッシュレス化が進んでいます。

でもふと思うのです。
「キャッシュレス募金って、そもそも“キャッシュ”がないのに、募金って言えるの?」と。

言葉の面白さはさておき——この仕組みの進化によって、募金が“便利に”なった一方で、私たちは何かを失ってはいないでしょうか?今回はそんな疑問を出発点に、国内外の事例や専門的な研究、体験談から「キャッシュレス募金のいま」を探ってみたいと思います。


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消えゆく「おつり募金」という日常

かつて、コンビニのレジ前には必ずと言っていいほど、透明な募金箱が置かれていました。おつりの小銭をチャリンと入れる、あの一瞬。誰かに見せるわけでもない、見返りもないけれど、なんだか「ちょっと良いことをした気分」になれる。

noteに寄せられた雨宮大和さんの文章には、こんな一節がありました。

「電子マネーで支払うようになってから、レジの募金箱におつりを入れる機会が減ってしまった。なんとなく、寄付していた頃の自分の“さりげない善意”が、どこかに置き去りにされている気がする」

実際、こうした“おつり募金”のスタイルは、キャッシュレス社会の波にのまれつつあります。現金のやりとりがなければ、おつりも出ません。そして、「出たから入れる」——という自然な流れもなくなるのです。


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「投げ銭の魔法体験」が失われた場所

この感覚の喪失は、日本だけではありません。イギリス・バース市の観光名所「ローマン・バス」では、長年、訪問者たちが“聖なる泉”にコインを投げて願いを込めていました。ところが、観光地の近代化に伴い、「キャッシュレス決済への移行」によって、この投げ銭文化がほぼ消滅。

2018年度には17万ポンドもの寄付が集まった「投げ銭体験」は、2023年にはたった1.7万ポンドに。

この現象は、「行動のハードル」というより、「行為の儀式化」そのものが失われた例だと言えるかもしれません。


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現金のない社会が生んだ“寄付できない人たち”

「寄付したいけど、現金がないからごめんね」

アメリカのストリート文化でも同様の声が多く聞かれます。
ホームレス支援のために雑誌『The Big Issue』を売っていたある人は、かつては通行人からの小銭で1日30ドル前後の収入がありました。しかし、キャッシュレス化が進んだ結果、紙幣やコインを持ち歩く人は激減。

「6時間いて、売上が15ドル以下になる日もある」と、米AP通信に掲載された記事では報じられています。

財布が空でも、心が空とは限らない——にもかかわらず、支援の手を差し出す道具がないという“技術的ジレンマ”が、そこには生まれていたのです。


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キャッシュレス化のメリット:確かにある

とはいえ、キャッシュレス募金にも光明はあります。

イギリスでは、ロンドン市内に設置されたTap Londonという非接触募金装置が話題に。たった3ポンドをタッチするだけで寄付できる端末が駅構内や商業施設に設置され、わずか1年で84,000ポンド以上の寄付を集めました。

また、ある宗教施設では「リバースATM(現金→プリペイドカードへ変換)」を導入。これにより、現金主義の高齢者層も安心してキャッシュレス募金に参加できるように。

技術が「参加のハードル」を越えるために用いられた好例です。

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「キャッシュレス効果」は、寄付には効かない?

「キャッシュレス化が進むと、財布のヒモが緩む」
——これは消費心理学の中でも有名な仮説です。実際に、40年以上にわたる研究をまとめた2023年のメタ分析(Less Cash, More Splash)では、以下のような傾向が明らかになっています。

  • キャッシュレス決済では「支払いの痛み」が小さい
  • 衝動的・高額な買い物が増えやすい
  • ただし、寄付などの「他者のための出費」には効果が弱い

つまり、「自分のためにお金を使うとき」はキャッシュレスで支出が増えやすくなる一方で、「他人のために使うとき」は、むしろ現金のほうがスムーズに行動につながるという結果が示されたのです。

これは「寄付=行為の動機が強く問われる」からこそ、手触りや実感が大事になることを意味しているのかもしれません。


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「現金なら…寄付してたかもしれない」の重み

実際、街角で募金活動をしている学生団体やボランティアに「ごめん、現金持ってなくて」と断る人は少なくありません。

でも、その人は本当に寄付する気がなかったのでしょうか?
それとも、現金がないという“理由”が背中を押せなかっただけなのでしょうか?

英国メディアに寄せられた声に、こんな一節があります。

「あのとき、財布に100円玉があれば、きっと入れていたと思う。でもスマホで支払うためにアプリを開いて募金先を探す、という行動には至らなかった。」

技術の壁ではなく、“習慣”と“きっかけ”の壁。
それが、キャッシュレス時代の募金における「見えない損失」かもしれません。


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言葉としての「キャッシュレス募金」の矛盾

少し言葉遊びのようですが、「キャッシュレス募金」という言葉自体が、ある種の言語的なパラドックスをはらんでいます。

  • キャッシュレス(現金がない)
  • 募金(お金を集める)

この組み合わせは、「水のいらない水浴び」「食べられないグルメ」のような、どこか不思議な印象を与える——そんな感覚すらあります。

けれど実際には、「見えるお金」から「触れない数字」へと形が変わっただけ。私たちはいま、「お金が目の前にないまま、お金を渡す」時代を生きているのです。


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「儀式のような善意」は、再発明できるか?

キャッシュレスによって失われたのは、「硬貨の音」や「箱に入れる感触」、そして「その瞬間にだけ芽生える衝動」だったのかもしれません。

ならば、新しい形の“儀式”を作ることはできないでしょうか?

たとえば:

  • 非接触端末に触れたときに、花が咲くような映像演出がされる
  • 寄付のたびに「あなたの支援で〇〇さんが助かりました」などのストーリーが表示される
  • 個人の寄付が累積して「森や井戸が完成する」など、結果を実感できる仕組み

そんなふうに、手応えのない「タップ」に、感情のフィードバックを加えることができれば——
きっとキャッシュレス募金は、“新しい魔法体験”として私たちの心に残るのではないでしょうか。


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結論:「キャッシュがない募金」は、心を置き忘れやすい

キャッシュレス募金は、確かに便利で、安全で、広がりやすい手段です。

けれどそこには、手触りや偶然性といった「人間らしい部分」が抜け落ちるリスクがあることも事実。
現金のない社会において、「どのように人の善意を引き出すか?」という問いは、技術よりも“感性”の設計が求められているのかもしれません。

「キャッシュレスでも心はある」
そう言える時代にするために、
私たち一人ひとりが「善意の通り道」にもう一度目を向ける必要があるのかもしれません。

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🔗 参考・出典リンク

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