ドMは理性の裏返し”説を考える|快と統制の心理構造

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■「ドM=弱さ」という誤解から始まる問い

「私、ドMなんで」
「罵られるのが好きっていうか…」

そんな言葉を聞いたとき、私たちはつい「この人は受け身で、自信がなくて、精神的に弱いのでは?」と想像しがちです。

しかし最近では、心理学や行動観察の視点から、

「むしろ、M傾向のある人こそ、日常では高い制御力や理性を持っているケースが多いのではないか?」
という仮説が注目され始めています。


■ 観察されている“ギャップ”の実例

  • SNSで「ドM」と公言している人が、普段の投稿では計画的・戦略的な言動が多い
  • 恋愛では受け身だが、仕事では完璧主義でリーダーシップも取れる
  • 何かを頼まれると断れないが、自分のスケジュール管理や情報収集は異常に丁寧

…こうした事例を見ていくと、「M気質」は“弱さ”ではなく、“強さをうまく緩めたいという感覚”の表れである可能性が見えてきます。


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【心理学の視点①】マゾヒズム的傾向は「自己統制」と共存する


● 被虐嗜好の人は「自己認識」が高い?

米国の研究者 Baumeister(1988)は、「Masochism as Escape From Self」という論文で、

“マゾヒズム的な欲望は、過度に自己を意識する人が、自我からの逃避を求めた結果である”
という説を唱えています。

これはつまり、

  • 常に「こうすべき」と自分を律している人
  • 周囲の期待を強く意識してしまう人
  • 道徳や成果、秩序を気にして生きている人

が、自らの理性から一時的に解放されたいときに、従属的・マゾヒズム的な欲求が出てくるという構造です。


● 判断力がある人ほど「支配される快」を選ぶこともある

他にも以下のような研究知見があります:

  • Masochistic Personality, Revisited(Psychology Today, 2021)
     → 自己犠牲的傾向を持つ人は、自分の中の複雑な感情を“痛み”や“抑圧”という形で処理することがある
  • Common Nonsexual Masochistic Preferences(2020)
     → 性的でないマゾヒズム傾向の人には、協調性や良心性といった社会的価値観が強く、他人に迷惑をかけないよう自己制御を高めている傾向も見られた

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【文化の視点①】「M発言=演じるためのタグ」でもある


● ネット文化における“自己キャラ化”の流れ

とくに日本のSNS文化では、「自分のめんどくささ」や「弱さ」を一言で処理するために、

「ドMなんで(笑)」
「罵られたい欲あるんで」
というようなラベル化がよく見られます。

しかし、これは“本当に服従したい”というより、

  • 自分の複雑な受け取り方をカジュアルに伝える
  • 相手に合わせる柔軟性を“ネタ化”して示す
  • 理屈っぽくならずに感情を表現する

といった高度な“感情の翻訳”ツールになっているケースも多いのです。


● M的スタンスは“感情の盾”になることも

たとえば:

  • 叱られても「ご褒美です!」と返すことで場が笑いに変わる
  • 傷ついても「そういうの、わりと好きなんで」と笑って見せる
  • 頼まれごとが多くても「使い勝手いいんで」と流す

これらは単なる“自己卑下”ではなく、場の緊張をゆるめる戦略的ふるまいとも言えます。

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【行動の視点①】「あえて受け身になる」という高度な判断


● 受け身=操作不能ではない

一見「従属的」に見える人が、実は次のような判断をしているケースが多くあります。

  • 自分が前に出るより、場を回す方が効率がいい
  • 主導権を相手に持たせたほうが、責任分散になる
  • 相手の自尊心を保ちながら、関係をコントロールできる

つまり、**“従っているように見えて、裏で主導している”**という構図も成立しうるのです。

これは、心理学でいう**「間接的な影響力」や「感情的利他性」**に近い動きです。


● ドM的ふるまいが持つ「対人潤滑剤」的な側面

「叱っても怒らない」「雑に扱っても受け止めてくれる」
こうした“耐性”を見せる人がいると、集団の中で場が和らぐことがあります。

実際、企業や学校の人間関係において「いじられ役」「天然枠」などは、心理的ハブとして機能することが多いのです。

このとき本人が、

  • 空気を読むスキル
  • 距離感調整力
  • 感情の受け皿になる意識

を持っている場合、“Mっぽさ”はむしろコミュ力の武器になっています。


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【考察】なぜ“強い人”ほどM的性質に惹かれるのか?


🧩 高負荷に耐えている人ほど「解放願望」を持つ

責任感が強く、普段はしっかり者の人が、
プライベートで「Mっぽい一面」を見せることは少なくありません。

  • 自分でコントロールしすぎる日常
  • 他人に弱さを見せられないプレッシャー
  • 常に成果を求められる立場

…こうした状況にある人にとって、「委ねられる状況」や「コントロールされる役割」は、**“許された脱力”**として心地よく感じられることがあります。

これは精神分析的にも、「理性と衝動のバランス取り」として位置づけられることが多いです。


🧠 主体性のある“従属”は「選び取った強さ」

ここで重要なのは、“M的なふるまい”が常に自発的で、戦略的で、合意の上に成り立っているという点です。

  • 「自分の選択で、相手に従っている」
  • 「自分を無にすることで、逆に自由になっている」

この感覚は、意志のある降伏=コントロールされた従属とも言えます。


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【まとめ】“ドM”は弱さではなく、感情構造の表現方法


M気質を持つ人は、「傷つきたい」「虐げられたい」と思っているわけではなく、

  • 誰かに全幅の信頼を寄せたい
  • 判断や責任を一時的に手放したい
  • 自分が受け止められるという確信を得たい

という感情的な構造の中で、“従属っぽさ”という手段を選んでいる場合が多いのです。

そしてその裏側には、

✅ 自己認識力
✅ 感情調整力
✅ 対人調和スキル
✅ 戦略的判断力

といった“強さの構造”が、静かに潜んでいます。


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🧭 おわりに:「ドM」という言葉の、ちょっと違う見え方

「Mっぽい」と言われたことのある人が、自分のことを“弱い”と決めつける必要はありません。

むしろそれは、**強さをやわらかく伝えるための“翻訳装置”**なのかもしれません。

今後、M気質を持つ人がいたら、
ただの受け身やネタとして片付けるのではなく、
“感情の設計図”として、そこにある知性やバランス感覚にも目を向けてみてください。

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🔗 参考・出典

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