なぜコオロギは食卓に根付かなかったのか|拒絶・炎上・コストの壁を超えられなかった理由

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■ はじめに:かつて“未来のたんぱく源”と呼ばれた

ここ数年、コオロギなどの昆虫を使った食品は「サステナブルな未来食」として国内外で注目されてきました。環境にやさしく、栄養価も高い。世界的な人口増加や食糧危機への備えとして、国や企業も実証事業を進めていました。

しかし――2024年時点でコオロギ食が私たちの食卓に当たり前のように並ぶことは、ほとんどありませんでした。

むしろ、SNSでは「給食に出すな」「気持ち悪い」「陰謀だ」などと炎上を招き、一部では“避けるべき存在”のように扱われている場面すらあります。

なぜ、ここまで理想と現実にギャップが生じたのでしょうか?

本記事では、コオロギ食が“思ったより広がらなかった理由”を多角的に整理し、将来的にどう受け止めるべきかを探ります。


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■ 壁は「味」でも「栄養」でもなかった

まず、よく誤解される点をクリアにしておきましょう。

コオロギ食が広がらなかったのは、

  • 味がまずかったからでも、
  • 栄養価が低かったからでもありません。

むしろ専門家によると、栄養面では非常に優秀で、

  • タンパク質は乾燥重量で牛肉に匹敵
  • ビタミンB群や鉄、亜鉛なども豊富
  • 飼育時の温室効果ガス排出も大幅に少ない

といった「高性能食材」だったのです。

問題は、社会側の“受け入れ設計”が整っていなかったことにあります。

以下、主な理由をひとつずつ見ていきましょう。


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■ 理由①:「気持ち悪い」はデマではなく“本音”

もっとも大きな壁は、消費者の拒否感情でした。

SNSでは「陰謀」「グロテスク」といったデマ的な反応も見られましたが、多くの人の本音はもっとシンプルです。

「見た目が無理」
「なんでわざわざ虫を食べなきゃいけないの?」
「美味しくても心理的にムリ」

昆虫は多くの文化で“害虫”や“不潔なもの”というイメージが根づいており、虫=食べ物という認識がそもそも育っていないのです。

また、文化的に昆虫食が定着していない日本では、

  • 「伝統食」ではない
  • 「グローバル感」もない
  • 「トレンド」でもない

という“属性ゼロの異物”として扱われてしまいました。

これは感情論ではありますが、マーケティングにおいては極めて重要なブロック要因です。


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■ 理由②:価格が高すぎた

次に大きな問題がコストの高さです。

たとえばコオロギパウダーやスナック菓子の価格は、2024年時点で1食あたり300〜500円以上。一般的な菓子やたんぱく質食品(豆腐や卵)に比べて明らかに高価でした。

なぜ高いのか?

  • 量産体制が未整備(需要が少ない)
  • 人手作業が多い(自動化未達)
  • 温度管理や飼育コストがかかる
  • 安全基準・検査・認証コストも割高
  • 「珍しさ」に甘えた高価格設定

など、スタートアップゆえのコスト構造と、需要喚起に失敗した“負のスパイラル”が影響しています。

結果として、「高くて不気味」という、最悪のイメージが広がってしまったのです。


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■ 理由③:「給食に出された」が炎上を招いた

行政や教育機関の一部では、実証実験として給食にコオロギ入り食品が導入されるケースがありました。

たとえば、ある県では2023年に

  • コオロギ粉末入りのせんべいを給食で提供
  • 小学生の一部が「美味しかった」と回答

といったポジティブな報告もありましたが、SNSでは「子どもに虫を食べさせるな」「親の同意は取ったのか」などと炎上。

この騒動は、虫に対する嫌悪だけでなく、“選択できない給食”という形式が強い反発を招いたと見られます。

また、コオロギに限らず「未来食」として推進されたことへの

「国民に虫を食べさせるのか?」
「エリートが安全圏から勧めているだけ」
という政治的・階層的な不信感も絡んでいました。


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■ 理由④:デマや陰謀論が補強された

上述のような「気持ち悪さ」や「不信感」は、デマや陰謀論と親和性が高い構造を持っています。

たとえば、SNSや一部メディアでは以下のような言説が流れました:

  • 「コオロギに酸化グラフェンが入っている」
  • 「聖書の記述が変わって食べてよくなった」
  • 「学校で虫食を強制している」
  • 「ビル・ゲイツが仕組んだ陰謀だ」

こうした根拠の薄い話も、心理的な嫌悪を下支えする燃料となり、冷静な議論の場を奪う結果となりました。

政府や業者が否定しても、「そういうことを言うのも怪しい」という疑心暗鬼が勝ってしまう。

この構造は、マスク・ワクチン騒動と類似性を持っています。


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■ 考察:コオロギは「失敗」なのか?

ここまで見ると「コオロギ食は失敗だった」と断定したくなるかもしれません。
しかし、構造的に見ると少し違った見方もできます。

✔ 技術と現実の“ズレ”が可視化された

  • 技術的・環境的には「有望」だった
  • でも人間の心理・文化的“受け入れ設計”が不十分だった
  • 食べる行為は“論理”より“感覚”が支配する領域だった

この構造は、他の新技術(例:遺伝子編集食品、AI医療、昆虫農薬など)にも当てはまります。

「社会実装」の失敗は、技術の失敗ではない。
「感情と制度をつなぐ設計」が足りなかっただけ。

この観点から言えば、コオロギ食は“テストケースとしての意義”を持ったとも言えるでしょう。


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■ 今後どうなる?生活者としての向き合い方

今後、コオロギ食が再び注目される可能性はゼロではありません。
しかし、広く普及するには以下のような“段階的シナリオ”が必要です。

🔹 コストの劇的な低下

→ 100円台で買えるようになる

🔹 味・安全性に関する具体的な実績

→ 「意外とおいしい」が口コミで拡散

🔹 “虫”を感じさせない加工・ネーミング

→ 例:「たんぱくクラッカー」「エコスナック」など

🔹 食文化との接続

→ 伝統食(佃煮・せんべい)や流行(プロテイン食品)との融合


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■ まとめ:感情を無視したテクノロジーは社会に届かない

コオロギ食の事例は、**「正しいこと」でも「受け入れられるとは限らない」**という現実を強く示しました。

  • 技術が正しくても、
  • 栄養が優れていても、
  • 環境に優しくても、

それを人間がどう感じるか、信じるか、食べたいと思うかという点が欠けていた。

そしてその隙を、嫌悪・陰謀論・デマが埋めてしまったのです。

未来の食や社会技術を考える上で、コオロギ食の“失敗”は多くのヒントを残しています
感情を排除せずに扱う設計――それがこれからの社会に求められるテーマなのかもしれません。

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🔗参考・出典

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