▷この記事で伝えること
- SNSで広まる“偏見ラベリング”の正体
- 実際に起きている仮放免制度の矛盾
- 「全員が悪いわけではない」と語った高校生の言葉の重み
- 差別が生まれる構造と、その乗り越え方
🧩 はじめに:「誰が悪いの?」という問いの違和感
「またクルド人か…」
「全員じゃなくても、結局そうなるでしょ」
「かわいそうとか言っても、実際に迷惑かけてる人もいるし」
そんな声がSNSにあふれています。
最近では、在日クルド人の高校生が「全員が悪いと思わないでほしい」と語った記事がヤフーに掲載され、話題を呼びました。
ですが、それと同時にコメント欄は冷え切っていました。
「送還されるのは当たり前」「不法滞在のくせに」という言葉が、淡々と並ぶ。
私たちは今、目の前の人ではなく「ラベル」に対して怒っているように見えます。
でも、それは本当に“理解したうえでの怒り”でしょうか?
この問題を、制度と暮らしの両方の面から整理してみます。
🧩 「在日クルド人高校生」の声が波紋を呼んだ理由
2025年8月、ヤフーニュースに掲載された記事では、ある高校生が「自分たち全員が悪いと思われるのは苦しい」と語りました。
彼はごく普通の高校生で、夢を持ち、勉強しながら日本で生きています。
けれど仮放免の身であるため、送還の恐怖や偏見にさらされる日々。
学校では友達もできた。でもネットでは、「またクルド人が」と書かれる。
記事では彼の声とともに、SNSで広がる偏見(たとえば「写っている人がクルド人だ」と勝手に決めつける投稿)の実例が紹介されていました。
一部の事例が、まるで“属性全体の問題”のように語られている――その現実が、記事を通して浮かび上がります。
🧩 なぜ「仮放免制度」がこんなにも摩擦を生むのか
この背景には、日本の「仮放免制度」という制度の盲点があります。
- 難民申請をした人は、審査中に「仮放免」という扱いになる
- 仮放免者は就労禁止・移動制限など、厳しい制約の中で生きる
- しかし審査は長期化し、5年・10年と待たされるケースも
- そのあいだ、国は生活費を支援しない。一方で地方自治体には福祉負担がかかる
→ 結果、働けない・保障もない・でも生活は必要という三重苦に直面することに。
埼玉県川口市には多くのクルド人が住み、仮放免者が集まったことから、制度の限界が可視化された地域でもあります。
🧩 川口市で実際に起きていること(制度の限界の露呈)
- 仮放免者とされるトルコ国籍者(主にクルド系)が900人以上
- 医療費未払いが年間7,000万円以上に達することも
- 一部では違法就労や摩擦も報告されているが、多くは真面目に生活しようとしている
- 住民からは「治安が悪くなった気がする」という声があるが、統計上は犯罪率の大幅な上昇は確認されていない
→ つまり、「体感治安」と「実際の統計」にズレがある状況です。
🧭 偏見は「感情」ではなく「情報のスキマ」に生まれる
「全員が悪いわけじゃない? でも、実際にトラブルも起きてるじゃん」
「感情論はもういい。現実を見ろよ」
…このような言葉は、ネット上でも現実でもよく見かけます。
けれどここにあるのは、**「知識のない状態で結論を出したい」**という、ある種の焦りでもあります。
たとえば:
- SNSで「事件」だけが拡散される(“川口の○○が暴れた”など)
- 「○○人がまたやった」系のコメントが下にズラリ
- その雰囲気に飲まれ、「やっぱり全員そうなんだ」と無意識に思う
このとき、人は“事実ではなく、空気”を信じてしまうのです。
🧩 「構造」が見えにくいとき、人は“属性”で理解しようとする
日本の仮放免制度は非常に複雑です。
制度自体が目に見えにくく、ニュースでも断片的にしか報じられません。
その結果、人々は**「説明しづらいもの」→「わかりやすい印象」で処理する**ようになります。
- 制度の穴 → 見えない
- 支援の仕組み → 説明が難しい
- 外国人が多い街 → 視覚的に目立つ
- 少しでもトラブル → 「やっぱり」
こうして、制度の構造問題が、あたかも「人種や属性の問題」のように語られてしまうのです。
これは、日本だけでなく、どの国にも起きうる“偏見の回路”です。
🧩 声をあげた高校生が切り開いたもの
冒頭で紹介したクルド人の高校生は、「全員が悪いわけではない」と声をあげました。
これがどれほど大きな一歩か、私たちは想像できますか?
- 仮放免者には発言の場がない
- 語っただけでSNS上で非難される
- 家族や周囲への影響も考えなければならない
それでも彼は「誤解されたままでは悔しい」と思い、語りました。
「1人の体験」が、「多数のラベリング」とぶつかる場面に、私たちは居合わせています。
🧭 私たちにできることは何か?
もちろん、制度を見直すのは国の仕事です。
でも、**“空気に流されない選択”**は、私たち一人ひとりにできることです。
たとえば:
- 「これは属性ではなく、個別の話かもしれない」と一度立ち止まる
- 目にしたコメントを“印象”としてではなく“仮説”として受け取る
- 「なぜこんな制度になっているのか?」を知ろうとする
それだけでも、偏見の連鎖は断ち切れるかもしれません。
🎯まとめ:制度と感情の“あいだ”を言葉にする
- クルド人高校生の言葉は、仮放免という制度の限界を“生きた視点”から伝えてくれた
- SNSに広がる偏見や「ラベリング」の構造は、情報の欠如と印象の連鎖に由来する
- 制度を正すこと、発信を続けること、偏見に流されないこと——そのすべてが「誰もが普通に暮らせる社会」への道
