■ はじめに:「部活が好き」だったはずの場所で
かつて部活は「青春のすべて」だった。
そう語る人は多い一方で、近年では「ブラック部活」「部活地獄」「顧問ガチャ」といった、負のイメージで語られるケースが目立ちます。
たとえば──
- 週7日の練習で心身が疲弊
- 顧問の指導が「強制」であるにもかかわらず、名目は「自主」
- 暑さや怪我に関係なく続けられる練習
- 教員も生徒も「辞める」と言えない雰囲気
こうした状況は、想像上の話ではなく、実際に起きている問題です。
■ 実体験の声:「今も夢に出てくるあの指導」
noteに寄せられたある投稿では、かつて公立高校の強豪部活に所属していた元生徒が、自身の経験をこう語っています。
「土日も祝日も関係なく朝7時に集合。顧問の前では水も飲めなかった。辞めたいと思っても、“逃げたやつは進学させない”と言われ、部員たちは黙って耐えていた。」
この投稿者は、卒業後もその経験を悪夢として引きずっており、数年経った今でも当時の圧力や無力感を思い出すと語ります。
一方、Yahoo!知恵袋には現役生徒からの相談が寄せられています。
「顧問の言うことは絶対。間違っていても従わないと“内申が下がる”って脅されます。保護者も“根性を鍛えろ”の一言。逃げ道がありません。」
このような証言は、全国どこでも起きうる“構造的な問題”であり、教育現場の改革が急務であることを示唆しています。
■ 教師側も「逃げられない」:過労死ラインを超える勤務実態
ブラック部活の問題は、生徒だけではありません。教師もまた、過剰な負担を強いられています。
OECDの国際調査「TALIS」によれば、日本の中等教育の教師は、週あたり平均53.9時間働いており、世界最長レベルです。
そのうち、「部活動指導」は放課後・週末・長期休暇にも及び、有給休暇を取るどころか代休すら存在しないケースも珍しくありません。
朝日新聞のコラムでは、部活動顧問を担う教員が家庭生活に支障をきたし「部活ミボジン(部活未亡人)」状態になっている実態も紹介されました。
これは、もはや“教育活動の一環”を超えた労働問題です。
■ 専門家の分析:「部活は教育の表と裏の顔を持っている」
イギリスの日本教育研究者 P. Cave 氏は、自著で日本の部活動を次のように評価しています。
- 「部活は生徒の人格形成に寄与している」
- 「しかし、その実態は“規律と服従”を育てる装置でもある」
つまり、部活動は“自己を鍛える機会”であると同時に、“規範に従う態度を身に付けさせる場”として機能しているのです。
この二面性が、善意の指導と暴力的なコントロールの境界を曖昧にし、現代的な価値観と衝突する原因となっています。
■ 類似構造は世界にも:スポーツ界で起きた“権力の暴走”
「ブラック部活」に似た構造は、日本だけの問題ではありません。
たとえば、オーストラリアの体操連盟における調査報告「Changing the Routine」では、次のような実態が明かされました:
- コーチによる精神的暴力(罵倒、無視、過度なプレッシャー)
- 怪我や拒食症が出ても練習を優先
- 組織が選手より「結果と名誉」を重視
報告では「人権侵害」とまで言われており、体操界に改革が進められています。
また、スイスでは「Magglingen Protocols」によって、数百人の元選手が同様の虐待体験を証言。中には長年PTSDを患う人もおり、国家レベルでの調査と制度改変が実施されました。
🔁 ブラック部活との共通点
- 結果優先の指導体制
- 指導者による権力集中
- 被害者が声を上げにくい文化
- 組織が内輪で処理してしまう閉鎖性
このように、**「教育」「育成」「スポーツの美名の裏で、無理が正当化されてしまう構造」**は、国やジャンルを問わず世界中に存在しているのです。
■ 日本でも始まった変化:神戸市の“部活外部化”という一手
日本でも、「部活動を教員の負担から切り離す」動きが加速しています。
その先陣を切ったのが、2024年に発表された神戸市の「Kobe Katsu」制度。
これは、市内のすべての中学校における部活動を完全に地域団体へ委託し、公教育の中から“部活”を分離する仕組みです。
生徒にとっては多様な選択肢が広がり、教員にとっては長時間労働からの解放につながると期待されています。
■ 考察:部活を「悪者」にしないためにできること
ここで改めて、問い直したいことがあります。
「ブラック部活=部活が悪い」ではない。
「部活という仕組みが、いつしか“逃げ場のない空間”になってしまっている」ことが問題なのです。
部活そのものは、本来は素晴らしい経験の場であるはずです。
- 目標に向かって努力する
- 仲間とぶつかり、支え合う
- 人生の中で忘れられない瞬間をつくる
でも、それが「恐怖」「縛り」「人生を壊すもの」に変わってしまっているなら──そこには、制度的な歪みや、文化的なアップデートの不足があるはずです。
たとえば:
- 生徒が自由に退部できる仕組み
- 顧問が“やらされ役”で終わらない制度
- 第三者の監視・相談体制
- 地域との協働モデルの拡充
こうした仕組みがあれば、部活はもっと“続けやすく”“安心して熱中できる”ものになるのではないでしょうか。
■ おわりに:部活という鏡に映る、私たちの社会のかたち
部活動は、学校の片隅の活動ではありません。
それは、私たちの社会が「何を大切にするか」「どう人を育てるか」を映し出す、鏡のような存在です。
ブラック部活をなくすことは、ただ部活を改革することではありません。
“声を上げにくい空気”を変えること。
“がんばる=正義”の構図を見直すこと。
そして、教師も生徒も地域も、支え合いながら育ち合える環境をつくること。
その第一歩は、「おかしいと思うことを、おかしいと言える」空気を、学校の中にも、社会の中にも広げていくことだと思います。
🔗 参考出典:
- OECD「TALIS」調査(2018)
- P. Cave『Bukatsudo: The Educational Role of Japanese School Clubs』
- The Japan Times「部活動改革」記事
- 朝日新聞「部活ミボジン」コラム
- Gymnastics Australia:AHRCレポート “Changing the Routine”
- Magglingen Protocols(スイス)
- SoraNews24:神戸市の部活動外部化記事
- note, Yahoo!知恵袋投稿者体験談(2025)
