◆ 辞任は「ゴール」ではない──次を語る責任が今、国民にもある
石破茂総理が正式に辞任を表明し、永田町はもちろん、SNSや地方の現場でも激しい感情が交錯している。だが、「辞めろ」の声が現実となった今、次に問われるのは――**「では誰が総理を担えるのか?」**という、さらに重い問いだ。
専門家の分析や有権者の生の声、そして後継候補の現実的な顔ぶれを見れば、単なる「怒りのガス抜き」ではない、次代をどう作るかという静かな模索も始まっている。
◆ 背景:辞任劇の裏にあった「参院選敗北」と「石破辞めるな現象」
7月の参院選で自民党は歴史的な敗北を喫した。特に首都圏・沖縄・関西などでの落選が響き、与党過半数割れという事態に。
この結果を受け、党内外から「石破降ろし」の声が一気に高まり、9月7日、石破総理は「バトンを次世代に渡したい」と語り辞任を表明した。会見では感極まり、言葉に詰まる場面もあった。
一方で、SNS上では《石破辞めるな》《話せる相手がいなくなる》という声も急増。AbemaTimesの報道では、首相本人がこの現象を「国民が政治にきちんと向き合ってほしいという気持ちの表れ」と受け止めたと語っている。
この一連の流れは、「辞めろ」のその先をどうするかが、まだ国民にも明確に語られていない現実を示している。
◆ 具体的な後継者候補は誰なのか? 専門メディアによる整理
では「他に総理をできる人はいるのか?」という問いに、専門家はどう答えているのか。以下に、2つの権威ある報道から要点を整理しよう。
● Reuters報道(9月7日付)
「Who could replace Ishiba?」という見出しで、次の総理候補として以下の3人を紹介:
- 高市早苗(64):保守派。日銀政策や安全保障に積極姿勢。右派層から強く支持されており、政党内調整能力も上昇中。
- 小泉進次郎(44):改革派で若年層の象徴的存在。環境・農林政策での発信力があり、「次世代感」を代表する候補。
- 林芳正(64):ハーバード大卒。外務・防衛・文部・農林など幅広い経験を持ち、実務型の信頼厚い官僚系リーダー。
加えて、野党からは元首相の野田佳彦氏、国民民主党の玉木雄一郎氏も名が挙がる。
→ これは「後がいない」という意見を否定する根拠ともいえる。
● AP News分析
次期総裁選に向け、現職閣僚や党重鎮の中からも以下のような声があるという:
- 小泉氏:「旧世代の論理に縛られない発想が必要」と発言。水面下で支持拡大中。
- 林氏:外相経験者として「地政学的な不安定さに強く対応できる」との声。
- 高市氏:「憲法改正と安全保障に関する明確なビジョン」を持つとされ、外交筋からも注目。
→ つまり、今後のリーダーを任せ得る人物は既に存在し、議論も進んでいる。
◆ 有権者の「不安」か「期待」か──現場の声から探る
専門的な解説とは別に、市民や識者の生の声も見逃せない。以下、印象的な発信を2つ紹介する。
● 高橋純子(朝日新聞編集委員)のコラムより
「『辞める必要なくない?』という小声が増えている。それは“本当の意味での反対”がまだできていない証拠なのかもしれない」
→ 「辞任を望む声」が強い一方、「代わりがいない不安」や「辞めさせたあとどうなるのか」という“空白”への戸惑いも同居している。
● デモ参加者の言葉(朝日新聞報道より)
「辞めることがゴールじゃない。じゃあ、次の人が外交も経済も全部ちゃんとできるの?」
→ 参加者の中には、石破氏が辞めた後の不安や、次のビジョンが見えないことへの焦りも。
→ 「辞めろ」と叫ぶことはできても、「任せる相手」を語る段に至ると、空白感が残ってしまうのが今の日本政治の弱点かもしれない。
◆ 答えを出すのは「誰か」ではなく「私たち」
ここで一度立ち止まりたい。
「辞めろ」という声は政治的圧力の表現であり、民主主義における当然のアクションだ。しかし、その声が現実となった今、次に必要なのは「じゃあどうする?」という構想力である。
石破茂という人物が「話せる」「説明しようとする」タイプの首相だったことは、SNSの反応やデモの現場でも言及されている。
そして、「次の総理は?」という問いに、すでに複数の実務型・改革型の候補が挙げられている以上、問題は“人物がいるかどうか”ではなく、“その人物に何を期待するのか”を国民側が考える段階に入っている。
政治は、空白を埋めない限り、不満から満足へとは進まない。
◆ 考察:大統領制にすれば解決するのか──制度への過信がもたらす“二重の罠”
石破総理の辞任が現実となった今、多くの人が感じるのは「結局、誰がやっても同じでは?」「むしろ制度そのものが悪いのではないか」という制度不信かもしれない。
その中で時折聞こえてくるのが、「もういっそ大統領制にしてしまえ」という声だ。
だが、こうした制度変更の願望には、**短期的なスッキリ感の裏に、見落としがちな“二重の罠”**が潜んでいる。
🔹 第一の罠:「構造は変えても文化は変わらない」
Chatham Houseによる報告では、日本の憲法設計そのものが、米国型の大統領制的発想と、戦前の議院内閣制的な運用実態を**“折衷”して生まれた**という経緯があるとされている。
つまり、日本の政治構造はそもそも「単一制度への最適化」よりも、「調整型・協調型の運営」を前提としてきたという土壌がある。
制度だけを切り替えても、政治家や官僚、国民の意識や議論の成熟度が変わらない限り、「新しい制度の中で旧来の問題が再発する」可能性が高い。
たとえば、強い権限を持った大統領が誕生しても、忖度文化や調整優先の体質が温存されれば、結局また「決められない政治」に陥る恐れもある。
🔹 第二の罠:「迅速なリーダーシップ」は「分断の引き金」でもある
Atlantic Councilの報告でも触れられていたが、大統領制は意思決定の迅速化をもたらす一方で、「立法と行政の分断」や「極端な世論迎合(ポピュリズム)」が起きやすいという側面を持つ。
たとえば米国では、議会とホワイトハウスのねじれによって予算が成立せず、政府機関が閉鎖される「シャットダウン」が繰り返されている。
これは「制度的には機能していても、政治的には完全に詰んでいる」状態だ。
日本にこの制度をそのまま輸入した場合、次のような危険がある:
- 政策のたびに「支持率だけを見た判断」が下される
- 議会と行政が対立したとき、「決められないまま時間だけが過ぎる」
- 政権交代がない限り、国民がリーダーに対する不満を持っても、4~5年間は直接的な修正ができない
つまり、大統領制には「わかりやすい顔」が生まれる一方、その顔が“変えにくくなる”制度的硬直性も伴うのだ。
🔹 現行制度は本当に「ダメ」なのか?──逆に見直すべき“柔軟性”
逆に、現在の議院内閣制の強みとは何か?
- 首相の不信任 → 即退陣 or 解散という柔軟なリセット機構
- 連立与党の存在によって、多様な意見が制度内で調整される
- 与党内での議論や派閥間の対話が、**極端な政策を抑制する“政治のブレーキ”**として働く
たしかにこの構造は、派閥力学や根回し文化の温床でもある。
だが裏を返せば、**「いきすぎを止める力」**が制度に組み込まれているという見方もできる。
🔹 問われるのは制度より「運用者」──そして、それを選ぶ私たち
制度は道具にすぎない。
その使い手である政治家、そしてその使い手を選ぶ私たちが、制度の価値を引き出すか腐らせるかを決める。
強い制度に“強い人”を求めるのではなく、弱さや迷いを抱えた制度とともに、時間をかけて育てる民主主義があってもよいのではないか。
石破氏が示したような「説明しようとする姿勢」「対話の間を大事にする感覚」は、大統領制では逆に軽視される危険もある。
✅ まとめ
もしかすると、大統領制という選択肢には、「もっとシンプルに決めてほしい」「誰かに任せたい」という気持ちが映っているのかもしれません。
けれど制度を変えることで、すべてがうまくいくとは限らない。
構造が変わっても、そこに関わる人びとの姿勢や関係性が変わらなければ、同じもどかしさが形を変えて続いていく可能性もあります。
むしろ、今の制度の中にある「柔らかさ」や「調整の余地」は、分断が深まる時代だからこそ、もう一度見直す価値があるのかもしれません。
政治に完璧を求めすぎないこと。
不満と希望のあいだにある“まだ答えのない時間”を、どう扱っていけるか。
それは、誰かに答えを出してもらうより、私たち一人ひとりが「問いを持ち続ける」ことから始まるのかもしれません。
