🔴“言葉の中身”ではなく“誰がどう言うか”で空気は真逆になる
SNS上で定期的に話題になるフレーズ——
「素人は黙っとれ」。
これは本来、冗談・ツッコミ・ネタとして流通していた定型ミームのひとつでした。
しかし近年、「チョコプラ松尾の発言が炎上」「城島リーダーの画像が許される」など、
同じ言葉なのに扱いが真逆になる現象が繰り返されています。
その違いを決めるのは、内容ではなく発言の“位置”と“空気の方向”。
今回はこのズレの構造と、なぜミームが暴力に変わるかを整理します。
📌【現象】「松尾の“素人は黙っとれ”が擁護されなかった」構図
2025年夏、とある番組後にチョコプラ松尾がSNS上で「素人は黙っとれ」的なニュアンスの発言をしたことで、
周囲が静まり返るような空気が発生。こんな投稿が話題になりました:
「チョコプラ松尾、炎上を擁護しようにも自分で『素人は黙っとれ』って言っちゃったからSNSで誰も擁護できないの落語みたいで好き。」
発言が意図せず**“擁護の口”をも封じる構造**になり、
結果的に火が広がってしまったという指摘です。
🧩【比較】城島リーダーはなぜ許されたのか?
一方、城島茂(TOKIO)の「素人は黙っとれ」発言(厳密には演出テロップ)は、
今もなおSNSでネタとして愛されるミームになっています。
「城島リーダーの『素人は黙っとれ』の画像、これこそ使い時なのに誰も使ってなくて泣いた。」
──という声もあるほど。
その背景には何があるのでしょうか?
🧠【構造分析】発言が“許される”かどうかの4つの条件
| 観点 | 城島リーダー | チョコプラ松尾 |
|---|---|---|
| 発言者の立場 | 現場で汗をかく“庶民の代表” | ツッコミ的観察者 |
| 言葉の見え方 | 自虐・照れ・ミーム | 排除・圧力・上から |
| SNSの印象 | 昭和ノリの笑い | 権威的な抑圧 |
| 結果 | ネタ化・共有される | 炎上・口を閉ざされる |
同じ言葉でも、「自分の中から出てきた」ように見える城島と、
「他人に向かって投げた」ように聞こえた松尾では、
空気の圧力と共感の余地が大きく違うのです。
🎭【補足1】そもそも「素人は黙っとれ」はミームである
実は「素人は黙っとれ」という言葉には明確な出典はありません。
過去にテレビ演出(たとえば『鉄腕DASH』2016年9月18日放送回の城島リーダーの無言シーン)で
画面のテロップとして表示されたことがあり、
それがミームとしての原型になったとされます。
その後、格闘技・お笑い・サブカル界隈で
「冗談めかして素人を黙らせる言い回し」として使われ、
いわば定型ギャグ・擬似暴力表現として定着していました。
例:
- 「素人が解説してて草。素人は黙っとれ。」
- 「評論家気取りのやつに素人は黙っとれって言ってやりたい」
- 「自分も素人なのに言っちゃった、すまん」
→ このように、自虐・ネタ・引用の範囲で流通していた表現だったのです。
🚨【補足2】それでも燃えるのは「文脈なきSNS」だから
なぜミームだったはずの言葉が、2020年代のSNSで燃えてしまうのか?
それには2つの構造的背景があります。
🔹① SNSでは“文脈の共有”が分断されている
- ミームは空気の共有が前提。
- だが、SNSでは見知らぬ他人・文脈不在の観客に晒される。
- 「これはネタ?本気?攻撃?」という読み取り不可能な状態になりやすい。
🔹② 言葉の構文自体が“封殺ワード”になっている
- 「○○は黙っとれ」という構文は、構造的に会話の終了命令。
- ネタであっても、それを真顔で受け止めた人にとっては暴力になり得る。
【考察】“言葉の正しさ”より、“機能と空気”が先に問われる時代
「素人は黙っとれ」という言葉は、内容としては間違っていないとも言えます。
- 専門知の軽視を避けたい
- 無責任な発言に線を引きたい
- プロの矜持を守りたい
…そうした目的を内包している場面もあるからです。
しかし現代では、“正しさ”だけでは言葉は評価されない。
なぜなら、発言はすでに機能=どう作用するか/誰を黙らせるかで捉えられてしまうからです。
🔹「黙らせる構文」は、意味を超えて“力の表示”になってしまう
「○○は黙っとれ」は、その構造上会話の終了命令です。
議論ではなく、“上から蓋をする”設計になっています。
だから、仮にネタであっても、それを真顔で受け止めた人には…
- 「黙れ」と言われたように聞こえる
- 「お前は語る資格がない」と評価されたと感じる
- 「発言すること自体を拒否された」と思えてしまう
つまり、意味よりも力が先に立つ構文であることが問題の根底にあるのです。
🔹 SNS空間では「権力と暴力の区別が曖昧になる」
もともと「素人は黙っとれ」は、テレビ的な構文です。
- 発信者と受信者が分かれている(=視聴者は突っ込めない)
- 文脈が連続している(=前後の流れが補完される)
- ミームとしての役割がわかる(=「あ、ネタね」となる)
しかし、SNSではこの3点がすべて失われる。
- 誰もが誰にでも突っ込める=“上下”が反転する空間
- 文脈が断絶している=一言だけが拡散される
- ネタかどうか判断できない=意図の読み取りが失敗する
つまり、ミームとして発された言葉でも、それが「権力の暴力」として認識される土壌がSNSには整ってしまっているのです。
🔹 ミームは「使える人間の輪」で成り立つ——それを外れると機能しない
かつて「素人は黙っとれ」は、“内輪ネタ”として機能していました。
- オタクの世界で
- 格闘技ファンの間で
- テレビの笑いの中で
しかし、チョコプラ松尾の発言は、その輪を外れた場所に投げられてしまった。
→ ネタとして発した言葉が
→ 内輪の文脈を共有していない受け手に届き
→ 権威や抑圧と見なされてしまった
この瞬間、言葉は“面白いミーム”ではなく、“議論を封じる装置”に変化するのです。
✅【まとめ】言葉は“誰の手にあるか”で機能が変わる
- 「素人は黙っとれ」は、正しく使えばネタにも警句にもなる構文だった
- だが、現代のSNSでは「意味」より「機能」「距離」「空気」が先に判断される
- 言葉の“使われる場所”と“届く相手”がズレたとき、ミームは暴力に変わる
- よって今、問われているのは「発言内容」ではなく、「それを言える空気にいたかどうか」そのもの
