「総裁まちがいなし」「泥臭い仕事もこなして一皮むけたのね」――。
小泉進次郎氏の陣営が、こうした“称賛コメント”の例文を支持者に配布していたという報道がありました。
これは、動画配信サイト「ニコニコ動画」の総裁選関連コンテンツに対して投稿することを想定した“応援コメント”であり、報道によれば、全部で24パターンの文例が事前に提示されていたとのことです。
これらは一見すると、支持者が自発的に投稿したように見えます。しかし、その背後に候補者側からの具体的な指示が存在していたとすれば、それは“操作された言論”である可能性があり、ネット上では「やらせではないか」「印象操作では?」という批判が広がりました。
このように、誰が言っているのか、どんな意図があるのかが見えづらい形で行われる情報発信は、いわゆる「ステルスマーケティング(ステマ)」の構造に似ていると指摘されています。
では、そもそもステマとはどんな行為で、なぜ問題とされているのでしょうか。そして、それが「違法」と判断されるのは、どこからなのでしょうか。
ステマとは「広告を隠した宣伝」のことです
ステルスマーケティングとは、企業や団体が広告・宣伝の意図を持っているにもかかわらず、それを明示せずに第三者に紹介させる手法を指します。わかりやすく言えば、広告であることを隠して、「自然な口コミ」や「個人の意見」のように見せかける行為です。
たとえば以下のようなケースが該当します。
- インフルエンサーに依頼して商品を紹介させるが、「PR」や「広告」の表記がない
- ブログやSNSで紹介されているが、実は企業から報酬やサンプルを受け取っている
- 口コミサイトで高評価レビューを書いてもらうよう依頼し、見返りを渡している
いずれも共通しているのは、「本当は宣伝なのに、そう見えないように装っている」という点です。
日本では2023年に法規制の対象となりました
こうした手法に対する問題意識は以前からありましたが、長らく日本ではステマを直接的に取り締まる法律が存在していませんでした。
しかし2023年10月、景品表示法が改正され、「広告であることを隠して宣伝する行為」も不当表示として違法とされるようになりました。
この法改正により、たとえ紹介の内容が事実であったとしても、「広告であることを示さずに紹介すること」自体が処分対象となるケースが出てきました。実際に、医療機関による口コミ誘導が不当表示とされ、行政処分を受けた事例もあります。
さらに、規制の対象となるのは「広告主(=企業や団体)」です。つまり、投稿したインフルエンサー本人よりも、広告を依頼・指示した側の責任が重く問われる構造になっているのです。
小泉進次郎氏の“指示メール”はステマと呼べるのか?
ここで再び、冒頭の話題に戻ってみましょう。
小泉氏の陣営が、複数の関係者に対して称賛コメントを例文つきで指示していたと報じられたこの件。法的には選挙運動の一環として解釈される余地もありますが、その手法は明らかに“自然な声”を装ったものでした。
このような構造は、いわゆるステマとほぼ同じです。
- 明示的に「応援投稿」と表記していない
- 投稿者が「本人の意見のように見えるが、実際は指示に従った内容」
- 公の場で「多数の自然な支持がある」ように印象づけられる
実際、広告の分野で同様の行為があれば、2023年以降は明確な違法行為として処分される可能性があります。
選挙や政治活動においても、法制度の適用範囲や言論の自由との兼ね合いを考慮する必要はありますが、「信頼を装って誘導する構造」が許容されにくくなってきているのは確かです。
ステマはなぜ問題なのか?信頼と選択のすり替え
ステマが批判される最大の理由は、「信頼」を利用して受け手の判断を誤らせることにあります。
たとえば、普段から信頼しているインフルエンサーが紹介した商品であれば、「この人が勧めるなら間違いない」と思って購入するかもしれません。
しかし、実際は報酬をもらって紹介していたと後で知った場合、「だまされた」と感じる人もいるでしょう。
つまり、問題は「お金をもらっていたかどうか」だけではありません。
その発言が“誰の意図によるものか”を隠していること自体が、情報の信頼性を損なうのです。
「信頼を必要としない人」には関係ない?
ここで興味深い問いが生まれます。
「信頼を必要としない関係」であれば、ステマであっても問題にならないのではないか?
たとえば、普段から“案件まみれ”の人物が広告を紹介しても、受け手が「これは広告だ」と分かっているなら、裏切られたとは感じないでしょう。
実際、ステマが批判されるのは、多くの場合「裏切られたと感じるほどの信頼」があったからです。
つまり、ステマが成立するには、
- 発言者と受け手の間にある程度の信頼や共感があること
- その信頼が“偽装された情報”によって損なわれたと感じること
という条件が必要になります。
言い換えれば、「信頼を利用して選択を操作したこと」が問題の核心なのです。
だからこそ、法律が必要なのかもしれない
ステマ規制の本質は、「信頼の抜け道」を制度で塞ぐことにあります。
これまでの社会では、「広告かどうか」は受け手が自分で見抜くしかありませんでした。しかし、巧妙な演出やSNS文化の変化によって、その見分けが非常に難しくなってきています。
だからこそ、2023年の法改正では、「広告に見えない広告はNG」というシンプルなルールが導入されました。これは、“信じる側の責任”から、“伝える側の説明責任”へと重心が移ったという意味でもあります。
🧊 補足:信頼を必要としない発信者とは?
ステマが成立するには、「発信者にある程度の信頼・共感がある」という前提が必要です。
しかし世の中には、そもそも以下のような**“信頼をベースにしない”発信者**も存在します。
主なタイプ:
| 種別 | 特徴 | ステマと相性 |
|---|---|---|
| ■ スパム系アカウント | 正体不明・繰り返し広告投稿 | 信頼関係が前提でないためステマと呼ばれにくい |
| ■ “案件慣れ”したインフルエンサー | フォロワーも広告目的と理解している | むしろ透明性が前提。ステマ化しにくい |
| ■ ショップ公式/企業広報 | 「宣伝です」と明言するのが常 | 信頼の“ふり”をしないため問題にならない |
| ■ 皮肉系・ネタ系アカウント | 信頼より“演出・距離感”が武器 | そもそも信頼を操作しない構造 |
これらの発信者は、信頼という土台を利用していない(または極めて限定的に使っている)ため、
たとえ広告や誘導があっても、それが**“裏切り”として炎上する可能性は低く**なります。
🔄 「信頼を使わない戦略」=ステマ防衛策にもなり得る
興味深いのは、信頼を明示的に“使わない”設計が、結果的にステマと無縁のスタンスとして機能している点です。
たとえば:
- 「全部案件です!」と開き直って発信するYouTuber
- 「レビューは書くけど企業からは1円ももらいません」と強調する個人ブロガー
- 「広告っぽいけど面白いから見る」という広告作品(例:日清カップヌードルのCM)
→ このように、信頼の“操作”を前提としない発信は、受け手にとっても安心感があり、ステマと切り分けて消費されやすくなります。
🤔 では「信頼を持たれたくない」方が得なのか?
ここに逆説があります。
本来、信頼は発信者にとって強い武器のはずですが、ステマ批判が強まる現代においては、信頼が重荷になる場合もあるのです。
- 「この人だけは信じてたのに…」という“裏切り”感がバズにつながりやすい
- 高く評価されるほど、ステマ発覚時の落差が激しい
- 結果として「最初から信用させない方が安全」という逆転現象
これは、信頼が“通貨”になる時代のリスクでもあります。
🧭 まとめ:信頼を使うなら、誠実であってほしい
進次郎氏の“称賛コメント例文メール”は、多くの人にとってモヤモヤを残す出来事でした。
それは単なる「選挙戦略」ではなく、
「この言葉は誰の本音なのか?」という根源的な問いを突きつけたからです。
ステマの本質は、
“宣伝そのもの”ではなく、“誰かの信頼を装って”それを伝えることにあります。
そしていま、社会全体が「広告かどうかを見抜ける前提」ではなく、
**“透明であること自体が信頼の最低ライン”**になろうとしています。
一方で、最初から信頼を必要としない発信者も存在します。
彼らは、あえて距離を取り、「これは広告ですよ」と明示することで逆に自由を保ち、
ステマ批判の矢面に立つことなく情報を発信し続けています。
つまり、私たちはいま、
- 信頼を得て話すか(なら誠実さが求められる)
- 信頼を使わず話すか(なら透明さが武器になる)
この2つのどちらかを選びながら、
それぞれに責任とリスクが伴う時代に生きているのです。
だからこそ、
「信頼を使うなら、誠実であってほしい」。
それがいま、情報発信の出発点として問われているのではないでしょうか。
🔗 参考・出典
- 「小泉進次郎氏の応援コメント例文24パターンを陣営が配布」(週刊文春)
- 「ステマ規制は何が変わる?景品表示法改正のポイント」(NTTコム オンライン)
- 「初の行政処分、医療法人が口コミ誘導でステマ違反」(牛島総合法律事務所)
- 「なぜ“信頼”がステマを成立させるのか?」(BizDrive)
- 「景表法改正で変わるPRの境界線」(CREXiA)
