◆ はじめに──「負け馬」の訃報が、なぜこんなにも胸を打つのか
2025年9月9日、一頭の馬が静かにこの世を去った。
その名は「ハルウララ」。競馬に詳しくない人でも、どこかで名前を聞いたことがあるかもしれない。“113連敗”という異例の記録を打ち立てながら、全国的な人気を集めた伝説の「負け馬」である。
引退後は千葉県の牧場で穏やかな余生を送り、晩年は『ウマ娘』効果で再び世界中から注目されていた。だが、まさかそんな彼女が29歳(人間換算で90歳)で突然この世を去るとは、多くのファンにとって「予期せぬ喪失」だった。
今回の記事では、ハルウララの最期をめぐる事実を整理しつつ、なぜこれほど多くの人が“勝たない存在”に心を動かされたのか、その心理的背景に焦点を当てる。
◆ ウララは“ただの競走馬”ではなかった
ハルウララは1998年に高知競馬でデビューして以来、一度も勝つことなく引退した。「勝てない馬」として話題になり、一時は社会現象とも言えるブームを巻き起こした。
だが、この人気は単なる物珍しさではなかった。
彼女の存在は、“勝たなければ意味がない”という価値観への静かな抵抗でもあった。
当時の日本は、就職氷河期・不況・リストラといったキーワードに彩られていた。努力しても報われない現実を突きつけられた人々が、「負け続けても走り続ける」ハルウララの姿に、どこか自分自身を重ねたのだ。
「応援せずにはいられなかった」「なぜか涙が出てきた」
そんな言葉が当時、ネットやメディアで相次いだのは、彼女が“社会の主役になれなかった人々”の象徴だったからにほかならない。
◆ 突然の別れ──最期の日に起きたこと
ハルウララの訃報が公表されたのは2025年9月9日。同日未明、マーサファームのスタッフに見守られながら、静かに旅立った。
死因は「疝痛(せんつう)」──腸にガスが溜まり、強い痛みや呼吸困難を引き起こす、馬にとっては命に関わる病である。
代表の宮原優子さんによれば、「前日までは元気だった」「朝に糞が出ていないことで異変に気づき、夜通し付き添ったが、明け方に急変した」とのこと。
看取った人々にとっては、言葉にできないほどの喪失だっただろう。
なぜなら彼女は、「アイドル」でも「商品」でもなく、“存在そのものが支え”だったからだ。
◆ ウマ娘と“第二の人生”──新しい世代との出会い
引退後のハルウララは、千葉や北海道の牧場を転々とした後、宮原さんが設立した「マーサファーム」に落ち着いた。そこで彼女は穏やかな日々を過ごし、支援者限定の小さな会「春うららの会」によって支えられていた。
だが、2020年代後半に入り、思いがけない「第二の人生」が訪れる。
競走馬をモチーフにした大ヒットゲーム『ウマ娘 プリティーダービー』に、ハルウララがキャラクターとして登場したのだ。
作中のウララは、明るく前向きで、負けても笑顔を絶やさない姿で描かれ、若い世代に支持された。その結果、海外からの牧場見学予約も急増し、2025年には見学者の3割が外国人という状態にまで広がった。
ここで重要なのは、ハルウララが再び“誰かの心の支え”となったことだ。
かつて大人たちに寄り添った彼女は、時代を越えて、今度は若者や海外のファンに寄り添う存在になった。
◆ 心理的考察①:「勝たないこと」は本当に「敗北」なのか?
ハルウララの人気を支えた要素の一つは、「勝たなくても、意味がある」という価値観の提示である。
多くの人は、勝敗で世界を測ってしまう。
受験、就職、恋愛、SNSのいいね数……すべてに勝ち負けの構造があるように感じられる社会において、「一度も勝たない馬」がスポットライトを浴びたという現象は、実はとても象徴的だ。
彼女は、誰よりも走った。誰よりも注目され、誰よりも愛された。
それは**「勝たないこと」=「価値がないこと」ではない、という事実を証明する存在**だったとも言える。
◆ 個人たちのまなざし──“触れ合った人の記憶”から見えてくるもの
ハルウララの死は、ただの「ニュース」では終わらなかった。
SNS上には、彼女を見に行ったことのある人たちの体験談が次々と投稿された。
「最後にもう一度会いに行っておけばよかった」
「人参をねだってきた姿が忘れられない」
「走らない馬だけど、心を動かす存在だった」
特に注目されたのは、2025年5月の訪問記録だ。noteに投稿された体験記では、ハルウララが草を食み、ゆっくりと歩き、人懐っこい仕草で訪問者と接していた様子が描かれていた。高齢馬とは思えないほど元気で、耳をぴょこぴょこ動かしながら反応していたという。
記録によると、顔には白髪が増えていたが、それすら「彼女の年輪」として尊重されていた。
このような記憶の断片の中で、人々は“ただの馬”ではなく、“一緒に時代を生きた誰か”としてハルウララを見ていたことがわかる。
◆ 最期の「わがまま」──だからこそ、ウララらしかった
死因となった疝痛(せんつう)は、馬にとって非常に危険な病である。
腸にガスが溜まり、動きを止めると一気に悪化してしまうため、治療の基本は「歩かせる」ことだ。
だが、最期の夜。
スタッフが歩かせようとすると、ハルウララは「イヤだ、私は歩きたくない」と足を止めたという。
この逸話は、涙と共に多くの共感を集めた。
なぜなら、それがあまりに「ウララらしい」からだ。
ずっと“勝たなかった”けど、走り続けてきた。
最後くらい、自分の思うように終わりたい。
そんな気持ちすら読み取れてしまうような、穏やかな抵抗だった。
◆ 心理的考察②:「応援する」ことの本質とは?
私たちはなぜ、勝てない馬を応援したのだろうか?
それはきっと、**「自分の中にある“あきらめた部分”に触れてくれたから」**ではないだろうか。
人生には、どうしても報われない努力がある。
何度頑張っても届かない目標、立ち向かっても崩れない壁。
ハルウララの存在は、それを“失敗”とも“敗北”とも断じなかった。
代わりに、こう語りかけてくる。
「それでも走る価値がある」と。
ハルウララは、どんな状況でも背を向けずにゲートに入っていった。
誰かに命じられたからではなく、「走る馬」としてそこにいた。
その姿が、「人生に意味をくれるのは、結果じゃなく姿勢だ」と多くの人に教えた。
◆ ウララが残したもの──“強さ”の再定義
彼女がいなくなった今も、語られ続ける理由はひとつ。
「強さ」の定義を広げてくれたからだ。
・誰かと比べなくていい
・勝てなくても尊重されていい
・途中で立ち止まっても、愛されていい
ハルウララは、生き方そのものでそれを示した。
それは、敗者復活でもなければ、逆転勝利でもない。
「そのままで尊重される」という、静かな革命だった。
◆ おわりに──別れのあとに立ち上がる“感謝”
宮原さんは、ウララが亡くなったあともこう語っている。
「最後までわがままでした。でもそれもウララらしさ。たくさんの思い出がある。感謝の気持ちでいっぱいです。」
この言葉に、すべてが集約されているのかもしれない。
私たちは“勝者”に憧れ、“強さ”に心を奪われる一方で、
“負けても走り続ける存在”に、より深く癒され、救われることがある。
ハルウララの死は悲しい。
でも、それ以上に「ありがとう」と言いたい人が、今も全国、いや世界にいる。
その事実が、彼女の“走り”が決して無駄ではなかったことを、静かに証明している。
🔚
人は、勝ち負けだけでは語れない。
ハルウララは、そのことを教えてくれた、誰よりも美しい“負け組の星”だった。
