はじめに:「既読」がつくと、何かが始まる
LINE、Instagram、X(旧Twitter)など──
ほとんどのSNSには「既読」機能があります。
誰かに送ったメッセージが、
「相手に読まれたかどうか」が分かる仕組み。
たしかに、読んでくれたのが分かるって、ちょっと安心ですよね。
でも同時に、
「既読ついてるのに返事ない…」
「うっかり既読つけちゃった、どうしよう」
と、ちょっとしたモヤモヤや不安も生まれがち。
これって、ただの“機能”にしては、心の動きが大きすぎる気がします。
既読って、“伝わった”のサインでもある
noteに書かれた『既読機能のオモテとウラ』という記事では、
既読は“読んでくれた”という確認の手段であり、
それがあることで「ちゃんと届いてるんだ」と安心感が生まれると書かれていました。
たとえば…
- 忙しい時でも「既読」があれば、とりあえず気持ちは通じたような気がする
- 待ってる側も、「返事が来るかも」と前向きに待てる
そういう意味では、既読は小さなコミュニケーションの一部になっているのかもしれません。
でも、既読が“返事の圧”になることも
一方で、その「見えちゃうこと」がストレスになることもあります。
- 「すぐ返さなきゃって思っちゃう」
- 「読んだのに返事しないの、失礼じゃない?」
- 「そもそも、なんで読んだだけで責任を感じるの?」
実際、Business Insider の記事でも、
既読機能によって人が「無視された」と感じたり、
「自分が気を遣いすぎる」と悩んだりする例が紹介されています。
既読は、“会話が始まるきっかけ”であると同時に、
“返事をしなきゃいけない”という空気も運んでくるようです。
既読があることで、「沈黙」が重たくなる?
日本の大学生を対象にしたある研究では、
既読がついたあとの“返信の遅さ”が、
不安・怒り・さみしさ・罪悪感などを呼び起こすことが分かっています。
しかも、スマホをよく使う人ほど、そうした感情の反応が早く出るそうです。
「既読=返事がくる前提」
→ この期待が強いと、沈黙は“期待を裏切られた時間”になってしまう
メッセージそのものではなく、
そのあとに何も起こらない時間に意味が乗ってくる──
それが、既読の持つやっかいな側面なのかもしれません。
もしかすると、既読って“気持ちを測るツール”になっている?
ここまで見てくると、既読って単なる「情報の通知」ではなく、
人の心の距離感や、関係性の温度まで巻き込む存在なんだな、と感じます。
- 返事がこないと「嫌われたかも」と思ってしまう
- 自分が返さないと「申し訳ない気持ち」になってしまう
- 本当は返事が遅れても気にしない人もいるのに、どこか“気まずい”
それって、もしかしたら、
「既読=反応の義務」になってしまっているからかもしれません。
おわりに:見えないやりとりに、ちょっとやさしくなってもいいかも
SNSの既読機能は、たしかに便利です。
でもそこに、「期待」と「感情」がくっついてしまうことで、
思ったよりもしんどくなる瞬間もあります。
それでも、悪いのは機能じゃなくて、
私たちが“どう受け取るか”の方かもしれません。
- 既読がついても返事がすぐじゃなくても、気にしない日をつくる
- 自分も「返さなきゃ」と思い詰めすぎないようにする
- 何も送らなくても、「読んでるよ」が伝わる関係もある
そんなふうに、既読のある世界に、
少しだけ“ゆるさ”や“余白”を持ち込んでもいいのかもしれません。
