誰の町でも、誰の責任でもない──インバウンドで揺れる浅草のいま

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■ 観光客・住民・店舗の“正しさ”がすれ違う時、都市は静かに壊れていく

いま東京・浅草では、「観光都市」としての成功の裏で、“見えない怒り”がじわじわと蓄積している。
観光客のマナー違反に苛立つ住民、過剰な期待に疲弊する店舗、そして“責任”が誰にも属さないままの町の風景──。
混雑や騒音といった表面的な問題ではなく、「誰がこの町を守るのか」という問いが、本質的な分岐点を迎えている。

本記事では、行政調査・専門メディア・個人の体験談から見える“浅草インバウンド摩擦”の実態と、そこから得られる示唆を分かりやすく解説する。


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■ 背景:爆増するインバウンド、割れる評価

2024年、浅草を訪れる外国人観光客はコロナ前の水準を上回る勢いで回復している。
人気の仲見世通り、浅草寺、ホステルや簡易宿所は満室続きで、経済的には大きな潤いがある。

しかしその裏で──

  • 台東区による住民アンケートでは、約6割が「観光による生活への悪影響がある」と回答
  • 民泊周辺では騒音・ゴミ出しトラブルが日常化
  • 宿泊客からのクレーム(部屋の清掃・価格差・言葉の壁)は前年比約40%増

と、観光という“外貨獲得システム”が、住民の感情や街の秩序と軋轢を起こしている。


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■ 実例①:住民「ここは私たちの町だったはずなのに」

台東区が2024年に行ったアンケートでは、住民からの生々しい声が記録されている。

  • 「朝7時にゴミを出そうとしたら、通りに飲みかけのカップが散乱していた」
  • 「夜中にスーツケースをガラガラ引く音で起こされた」
  • 「寺での喫煙、撮影、無断侵入……限度がある」

浅草は、生活者にとっても誇りある“日常の町”だ。だが観光客にとっては“非日常の舞台”。
この「視点のズレ」が、共有ルールの成立を阻んでいる。


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■ 実例②:観光客「情報がなさすぎる。何が悪いのかすらわからない」

一方、観光客からも「不満」は存在する。

  • 「ゴミ箱が少ない。捨てようとしたら怒られた」
  • 「レストランで突然“サービス料10%”を請求された」
  • 「宿泊施設が写真と違いすぎる」

観光庁の報告書では「旅ナカ(旅行中)にマナー情報に触れる機会が1割以下」とされており、つまり“知らずに迷惑をかけてしまう”構造が続いている。

旅行者の多くは「悪気なく」行動しており、怒られてはじめて「ルールがあった」と気づくことも多い。


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■ 実例③:事業者「収益よりストレスの方が多い時もある」

浅草でゲストハウスを検討した個人のブログでは、こんな告白がある。

「毎日の清掃、無断キャンセル、深夜のクレーム対応……体力より精神が先にやられた」
「レビュー1つで収益が吹き飛ぶ世界。やらない方が良かったかもしれない」

実際に運営していた人々の体験では、近隣住民との関係悪化や法規制の煩雑さ、観光客との価値観の衝突が“事業継続をためらわせる”理由になっている。


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■ 対策は進んでいるが、効果は限定的

台東区では、浮世絵風の「EDO IT!(エドイット)」リーフレットを多言語展開し、観光客向けマナー啓発を実施中。
また、住民・観光客・店舗が参加する清掃イベント「清走中」なども開催され、一定の成果は上がっている。

だが、こうした取り組みは:

  • 時間・場所が限られている(通年ではない)
  • 情報の届き方に偏りがある(訪日前後には触れない)
  • 問題の“根本=責任の共有不全”には手が届いていない

という課題があり、「気持ちが通じた」と感じる住民・観光客の割合はまだまだ少ない。

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■ 問題の本質:ルールの有無ではなく、“誰が守らせるのか”が曖昧

浅草では、「マナーを守りましょう」という掲示は至る所にある。
英語・中国語・韓国語のパンフレットも整備されている。
けれど、それでも「誰も守ってくれない」と住民が感じるのはなぜか?

その根底には、「ルールそのものの不在」ではなく、
ルールの所有者と実行者が分断されていることがある。


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■ 心理学で読み解く:「誰かがやるだろう」の連鎖

◉ 「責任の拡散」(Diffusion of Responsibility)

  • 多くの人がいる場面では、個人が責任を引き受けにくくなる。
  • 「誰かが拾うだろう」「誰かが注意するだろう」と考えて、誰も動かない。

これは「傍観者効果」とも呼ばれ、観光地のような匿名性の高い場では特に顕著だ。

観光客:「誰も注意しない=許されていると思った」
住民:「毎回注意してもきりがない」
店:「クレームが怖くて客には言えない」

→ 誰も“責任者になりたくない”空気が、結果として「責任の真空地帯」を生む。


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■ 観光地に固有の構造:「一時的な関係性」と「見えない境界線」

観光客にとって、その町は「通過点」であり、「商品」でもある。
住民にとっては、「生活の場」「感情の帰属地」だ。

このズレが起こすのが、「無意識な侵害」だ。

例:

  • 写真撮影のために無断で私有地に入る
  • ごみをベンチの下に隠す
  • 路上で歌う・踊る・吸う

本人には悪意がない。それがやっかいだ。

→ 「迷惑なことをされた」と「迷惑をかけた意識がない」ズレは、
 明示的なルールでは解決できない。感情のすれ違いこそが、摩擦の源なのだ。


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■ “正しさの衝突”は感情の衝突へ

浅草の町は、次のような**「正しさ vs 正しさ」の衝突構造**を持つ:

主体行動その人の理屈相手の感情
観光客食べ歩き「SNSで見た文化だと思った」住民「道が汚れる・うるさい」
住民注意する「地域を守る責任がある」観光客「せっかく楽しんでたのに怒られた」
店舗サービス料加算「多言語対応コストがかかる」客「不透明で損した気がする」

→ どれも“善意”で動いている。それゆえに、話し合いの場がない限り、傷だけが残る


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■ 今後のヒント:「感情の共有」「行動設計」「交差点づくり」

問題の本質が“感情の摩擦”であるならば、解決策も“感情に寄り添う設計”が必要だ。

1. 🪧 明文化だけでなく「見える化」

  • 単なる禁止表現ではなく、「どう感じてほしいか」を表現
  • 例:「この道はおばあちゃんが通院に使っています。静かにお願いします」
       → “公共”が“誰かの生活”であることを伝える

2. 🤝 行動の交差点を増やす

  • 観光客と住民が同じ場所で“共体験”できる仕組みを意識的に作る
  • 例:地元と観光客が一緒に参加できる朝清掃
       地域ガイドが町の背景や歴史を案内することで「意味」を共有できる

3. 📱 デジタルナッジ(行動を優しく誘導)

  • 観光アプリに「その場所でしてはいけないこと」を表示
  • 食べ歩きルートに「この道は静かに」とマップ上に示す
  • 外国語レビューにマナー情報を差し込む(例:チェックイン前にルール動画)

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■ 最後に:観光は「来てもらうこと」ではなく「迎えること」でもある

観光とは、異文化・異生活の“短期的な交差”だ。
その交差点が円滑にまわるには、「ルール」だけでなく、「気持ちの橋渡し」が必要だ。

浅草という日本有数の観光地が今直面している問題は、
これから全国各地で顕在化していく「観光の成熟」の試練でもある。

ルールを作るだけでは、もう足りない。
そのルールが誰のもので、どう守るかを、一緒に感じられる都市──
それこそが、これからの“観光共生社会”に求められているのかもしれない。

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🔗 参考・出典:

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